|
|
|
|
|
|
|
ホーム>秋津療育園とは / 重症心身障害児と秋津療育園の歴史

秋津療育園は、昭和33年、創設者 草野熊吉が、重症心身障害児の呼び名や、児童福祉法、医療法、教育基本法など法的・予算的裏付けがなく、「福祉の谷間」に置かれた重複障害児のために「楽園の建設」を願い、障害児を保護することにより家庭の不幸を未然に防ぎ、障害児が家庭の延長として一生を過ごせる場所とし、同志の協力を得て現在の地に定員21名から開設しました。
問題の起点となったのは、戦後10年を経過した社会情勢の中で、創設者 草野熊吉が、昭和30年に家庭裁判所の調停委員を行っていた頃、家庭不和の原因に、しばしば障害児が登場して来る事実に遭遇したことにあります。家庭訪問の結果、問題のある障害の重い子供たちが予想以上に数多く放置され、納屋の片隅や部屋の奥に隔離され、非常に惨めな生活を強いられている状況を知ると同時に、当時の法律上、医療、教育も含めて適用除外されていることも知りました。
戦前から些かの社会事業歴を持っていた創設者 草野熊吉は、この様な状況を知り、再び社会事業に対して熱い情熱を持ち活動を再開しました。色々な方々に相談をしていく中で、激励され、ある時はその無謀さをたしなまれたりもしたが、前途多難を覚悟の上に準備を始めました。
最初は家庭生活からの救済を目指し、昼夜保育所のような形態を考えましたが、当時、障害児を救済する法律は無く、児童福祉法34条に抵触するという理由で禁止する法律だけが存在していました。
再三再四、東京都に折衝した結果、児童福祉施設として開設することは出来ないが、診療所または病院(21床以上)として開設が可能であるとの見解が得られ、早速、古い木造の病舎を改造し、昭和33年3月に病院開設許可を受けることとなりました。
昭和34年7月22日、入園児7名を逐次入園させ事業を開始し、現在この日を以って創立記念日と致しております。
当時の児童福祉法の中には重症心身障害児は存在せず、教育面でも、明治8年から就学免除との名目で、教育を受けることが出来きませんでした。
また、医療保険制度では不治永患児と呼ばれ、治癒する見込みのない疾病を治療することや、同一病名で一年以上の継続治療が出来ないという状況にありましたので、育成医療や生活保護法の適用、また医療保護も難しく、扶養家族負担額5割は家族にとっても大変な負担となり、当園の経営も行き詰るばかりでした。そして当時の肢体不自由児の範囲で行くか、重複障害児(現在の重症心身障害児)の範囲で行くかが問題となりましたが、当園はそのまま重複障害児を対象として行くことになりました。
昭和36年に島田療育園(現在の島田療育センター)が乳児院併設施設、昭和38年にびわこ学園が重度精薄児施設として、それぞれ社会福祉法人を取得し国の研究委託を受けることになりました。
当園では便宜的に運営をして行くことを拒否し、あくまでも法改正を速やかに進め、重症心身障害児の生きる権利を保障することを主張し、法人化の問題を抱えながら委託費の受領を辞退せざるを得ませんでした。
昭和37年に東京都より財団法人の認可を受けたものの、運営が好転するわけでもなく、厳しい現状の中で多くの方々からの協力を得て、昭和39年に国の示す重症心身障害児の福祉対策の基準を示す暫定措置(50床以上)を満たし、重症心身障害児施設と認可され、現在の基礎となる秋津療育園が発足することになりました。
昭和42年8月1日、児童福祉法の一部改正が行われ、現在の重症心身障害児施設が法律上存在することになりました。
| 年代 | 秋津療育園の状況 | 重症心身障害児・社会福祉関係 |
| 昭和20年 (1945年) |
|
|
| 22年 |
|
|
| 26年 |
|
|
| 33年 |
|
|
| 昭和34年 (1959年) |
|
|
| 36年 |
|
|
| 38年 |
|
|
| 39年 |
|
|
| 42年 (1967年) |
|
|
| 45年 |
|
|
| 46年 |
|
|
| 47年 |
|
|
| 48年 | 福祉元年 | |
| 49年 |
|
|
| 50年 |
|
|
| 54年 |
国際児童年
|
|
| 55年 |
|
|
| 56年 | 国際障害者年 | |
| 59年 |
|
|
| 60年 |
|
|
| 61年 |
|
|
| 62年 |
|
|
| 63年 |
|
|
| 平成元年 (1989年) |
財団法人秋津療育園より 社会福祉法人天童会として運営 全面改装新築完成<施設の老朽化に伴う> (定床数:135床) |
|
| 2年 |
|
|
| 4年 |
|
|
| 5年 |
|
|
| 6年 |
|
|
| 9年 |
|
|
| 11年 |
|
|
| 12年 |
|